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2025年度 都立日比谷高校 推薦入試 合格者 試験レポート

25年09月13日

2025年度 都立日比谷高校 推薦入試 合格体験記 (T.Iさん)

 

上記合格体験記を書いてくれた生徒様より詳細な試験レポートをご提供いただきましたので、日比谷高校推薦入試に挑戦しようと考える受験生とその保護者様の参考になればと思い、掲載いたします。

 

令和7年度(2025年度)日比谷高校推薦入試について

全般的なこと

【受験日】

2025年1月26日(日)

  • この年は、1月26日(日)と27日(月)が都立高校推薦入試の日。日比谷高校は、他校と異なり、例年1日ですべての試験を行う。在校生への影響を考慮し、なるべく平日を避けて試験を行なっている模様。
  • 秋以降の学校説明会で、入試日程が学校側から口頭で伝えられる場合があるので、学校説明会でしっかり確認しておいた方がよい。その機会を逃すと、受検票の配布(この年は1月23日)まで2日のうちのどちらが試験日かわからなくなってしまう(都の問い合わせ先に尋ねても「受検票の配布までは非公開」と言われてしまう)。

 

【集合】

開門予定時間は7時45分。予定より数分遅れて開門。門を入ると、星陵像の手前あたりで受検票を確認され、注意事項の紙を渡される。右手(経営企画室側)の入口ではなく、正面の入口から入るように指示される。待機教室はすべて4階で、40名×5教室と3名×1教室の計6教室(この年の受験者は203名)。私の待機教室は28R(ルーム)だった。

8時30分頃、年配の男性の先生と若い男性の先生の計2名が教室に入って来られる。

8時40分前後に、放送で貴重品回収についての指示がある。預け忘れ等が怖かったので、私は携帯を持っていかなかった。諸々の指示はすべて放送で行われる。ここで再び本人確認も行われた。

  • 私が通う中学校からは、全部で3名受験(私を含む2名が合格)。受験番号は、全員1桁台の連番。待機教室も一緒で、同じ列の前後に並んで座る形だった。
  • ここでまず受験番号1桁台のメリットを感じた(待ち時間が少なくて済む上、意識が高い学校が多いのか、待機教室の雰囲気が良かった)。早い受験番号を取ってくださった中学校の先生方に深く感謝した。

 

小論文

【形式】

8時45分頃、問題用紙と解答用紙が配られる(試験は8時50分から9時40分まで)。問題用紙は普通のA3サイズだったが(1ページ目が表紙、2〜3ページ目が問題、4ページ目が白紙の裏表紙)、解答用紙はA4サイズより一回り大きい中途半端なサイズだった。一文字を普段より大きく書かなければならないので、書くスピードを少し早めなくてはと思った。

配布されるのは、問題用紙と解答用紙の計2枚のみで、答案構成用紙は配布されないので、問題用紙4ページ目の裏表紙で答案構成をする練習をしておいた方がよい(私は、試験本番1週間前から毎日裏表紙で答案構成をする練習をした)。

 

【振り返り】

小論文は、佐藤先生のご指導のお陰で、すごく力がついたと思う。8月からご指導いただいたので、「誰よりも小論文対策に真剣に取り組み、多くのことを吸収できた」という自信が持てたし、資料の読み取り方も理解できるようになった。試験直前の1週間は、過去問(佐藤先生に教えていただいた順番通りに11年分)を使って、20〜25分で答案構成をする練習を繰り返し行った。しっかりと処理手順を身につけたお陰で、どんなテーマでも解ける自信がついたし、安心して落ち着いて試験に臨むことができた。佐藤先生のご指導がなかったら、この合格はなかったと思う。小論文は事前の対策が本当に重要だと感じた。

 

集団討論

【グループ分けと入室方法】

小論文が終了すると、そのまま待機教室で待つように指示され、そこで集団討論のグループが口頭で発表される。まず、それぞれの待機教室内で3名ずつのグループが作られる(3名ずつ受験番号が呼ばれる)。この時グループ分けで呼ばれる受験番号は、連番ではなく飛び飛びだった。おそらく同じ学校の人が同じグループになるのを避けるためと思われる。私のグループは、受験番号1桁台(私)・20番台(Bさん)・30番台(Cさん)の3名だった(ちなみにこの3名は全員合格していた)。

次に、その3名のグループごとに受験番号が呼ばれ、呼ばれたら廊下に出るように指示される。廊下に出ると、隣の待機教室で同じように作られた3名(Dさん・Eさん・Fさん)のグループとドッキングする(つまりここで6名のグループになる)。6名のグループができると、そこから集団討論会場の教室に案内された。私の教室は14Rだった。

14Rに着くと、教室の外に並べられた6つの椅子に座るように指示され(入口ドアに近い方からA・B・C・D・E・Fの順に座る)、そこでまた本人確認が行われる。

10時5分頃、「では、第◯グループ(受験番号が1桁台なのに、なぜかグループの番号は想定していた番号より遅かった)の方、どうぞ。」と声をかけられ、A(私)から順に入室(退室はFから)。ドアは引き戸で、Aが開けてFが閉める。後ろの人のためにドアを押さえておく必要はなかったように思う。

入室したら、入口側の壁際に並べられた机に荷物を置き、入口ドアに近い方からA・B・C・D・E・Fの順に並ぶように指示される。一番最初に入室したAから順に、奥から座るように言われるかと思っていたので、少し意外だった。全員で礼をしてから討論スタート。

 

【面接官】

面接官2名(集団討論、面接共に同じ面接官)

面接官A(向かって左):比較的年配の男性の先生(50代くらい)

面接官B(向かって右):若い女性の先生(20代くらい)

  • 先生同士の仲が良さそうだった。

 

【メンバー】

メンバーは全員女子だった。

A(合格):私

Bさん(合格):受験番号20番台。第一印象は、控えめそうな雰囲気。後半は結構発言されていた。

Cさん(合格):受験番号30番台。第一印象は、アグレッシブなタイプのように感じたが、話していくうちに、どの役割も状況に応じて臨機応変にこなせるバランスの取れた人だと感じた(今回のメンバーの中で一番すごいと感じた)。ジェスチャーが多く、アクセントが独特で、語気も強く感じられたので、もしかすると帰国子女なのかもしれないと後で思った。

Dさん(合否不明):受験番号40番台〜80番台。最初の方は内気な感じ。だんだん慣れてこられたのか、途中から発言が増えた。意見の内容は、一番説得力があったように思う。

Eさん(合否不明):受験番号40番台〜80番台。今回のメンバーの中で一番内気な印象。優しそうだが、声が小さく、自信なさげで不安そうにされていた。目線も少し不自然な感じ(誰ともまったくアイコンタクトを取ろうとしない感じ)だった。おそらく他の人も同じように感じていたのか、途中からみんなで一生懸命Eさんの話を聞こうとする雰囲気(優しい感じの雰囲気)になった。

Fさん(合否不明):受験番号40番台〜80番台。第一印象は、真面目そうな雰囲気。周りに合わせるタイプなのか、あまり自分の意見は話されない感じだった。

 

【形式】

先生主導型。面接官Bの先生が司会進行をされ、面接官Aの先生が観察をされていた。メモ用にA4サイズの紙(両面白紙)が配られる。兄の時はテーマがメモ用紙に印刷されていたみたいだが、今回は口頭でテーマが発表された。

 

【テーマ】

「これからの社会に求められる教養とは何か」

 

【各メンバーの立場】

A:これからの社会に求められる教養とは、物事を多様な角度から見ることができる力や様々なことをこなすことができる力。なぜなら、グローバル化と情報化が進んでいる現代社会では、一つの見方に捉われないことが大事だと考えるから。

B:これからの社会に求められる教養とは、情報を正しく扱う力。なぜなら、これからはもっと情報化が進むと考えられるから。

C:これからの社会に求められる教養とは、伝える力。なぜなら、グローバル化が進んでいると考えられるから。

D:これからの社会に求められる教養とは、英語力。なぜなら、グローバル化が進む現代においては、世界共通言語である英語教育をより進めるべきだから。(詳しくは忘れたが、ESAT-Jについても言及されていた。)

E:これからの社会に求められる教養とは、異文化を知ること。なぜなら、相手を理解することが大切だと考えるから。

F:これからの社会に求められる教養とは、他人を尊重することと、自分の意見をもつこと。なぜなら、相手を理解することが大切だと考えるから。(Eさんと同じような立場だった。)

 

【グループの雰囲気】

全員女子ということもあってか、全般的に和やかな雰囲気だった。ただ、和やかだった分、討論にあまり発展性がなく(誰かが意見を言ったら、みんなが「そうですね〜。」と同調する感じ)、個人個人はあまり差がつきそうにない感じでもあった。発言回数は全員同じ程度。

 

【振り返り】

  • 集団討論は、小論文や面接に比べて一番不安があったが、兄の時にもお世話になった自宅近くの面接・集団討論対策塾で対面特訓をしていただいたお陰で、大変勉強になった。さらに、私は中学校の担任の先生にも大変恵まれていて、担任の先生が生徒を集めて5回も集団討論の練習の場を設けてくださった。たくさん練習できたことも合格につながったと思う。
  • 聞く態度がもっと見られるかと思っていたが、面接官はどちらも発表者の方しか見ておられなかった。聞く態度よりも、発言内容そのものが重視されているように感じた。他者の意見に触れつつ自分の意見を述べるなど、発言内容でリーダーシップや協調性を見せていく必要があると思った。途中から意識して、他の人の発言の共通点について述べたり、「◯◯の観点の話ということで合っていますか?」と議論を整理したりするようにしていたので、その点は良かったと思う。
  • 「これからの社会」とは、どのような社会のことを指すのか(例えば、グローバル化が進んだ社会のことを指すのか、それとも情報化が進んだ社会のことを指すのか等)不明確だと思い、最初に議論の前提として定義づけを提案しようと手を挙げたが、先にCさんが同じことを提案されたので、そこは発言できなかった。Cさんの発言を受けて、先生の方から「では、グローバル化でいいですよね?」と定義づけがされたので、その後はそれに従って討論することになった。

 

面接

【入室方法】

集団討論が終わると、いったんグループで図書室前に誘導され、そこでしばらく待機した後、先ほどの4階の待機教室に戻る。

11時45分から面接。各グループのAから順番に呼ばれている模様。教室は、先ほどの集団討論の教室と同じ教室(14R)。教室の外の椅子で5分程度待つ(面接官の先生方は、この間に自己PRカードに目を通しておられたのかもと後から思った)。

5分ほど経つと、若い女性の先生(面接官B)が出て来られて、そのまま廊下の椅子で本人確認。本人確認が終わると、「一回戸(引き戸)を閉めるので、しばらくしてから入ってきてください。」と言われる。面接官Bの先生が教室内に戻られ、物音がしなくなったタイミングを見計らって、ノックして入室した。

入室後は、後ろの机に荷物を置くよう指示される。荷物を置き、椅子の横に立つと、「それでは、受験番号・お名前・出身中学校の順におっしゃってください。」と指示されるので、「受験番号◯◯番、◯◯です。◯◯区立◯◯中学校からまいりました。本日はどうぞよろしくお願いいたします。」と挨拶する。「どうぞおかけください。」と指示されてから「失礼いたします。」と言って着席する。

 

【面接問答内容】

面接官B:「それでは、これから面接を始めます。」

私:「はい。よろしくお願いいたします。」

(ここから少しアイスブレイクの質問)

面接官B:「本日は、どうやって本校まで来られましたか?」

私:「はい、徒歩でまいりました。第一志望ですので、春からこの道を歩けることを想像して、わくわくしながら歩いてまいりました。」

(「第一志望」というキーワードが出たからか、面接官はお二人とも「おっ!」という感じの表情をされていた。)

面接官B:「歩いて何分くらいかかりますか?」

私:「はい、15分から20分くらいです。」

面接官B:「中学校とどちらが近いですか?」

私:「はい、中学校です。私が通う◯◯中学校の前を通り、青山通りを越えたら日比谷高校です。」

(このあたりで面接官Bの先生が「あ、しゃべってくれる子なんだ」という感じのほっとした表情をされたように見えた。後から考えると、面接官Bの先生はかなりお若く、まだあまり慣れておられない感じの先生だったので、一番最初の面接ということもあって、先生ご自身も少し緊張しておられたのかもしれない。とにかく、コミュニケーションが取れることがわかって、少しほっとしたような表情をされたように見えた。アイスブレイクの会話は、一言だけのもっと短いものだと思っていたので、意外にここが長く感じた。)

面接官B:「では、本題の質問に入ります。なぜ本校を志望されたのですか?」

私:「はい、大きな理由は3つです。1つ目は、切磋琢磨できる環境があることです。2つ目は、お互いの個性を『面白い!』と尊重し合える校風です。3つ目は、外務委員の皆さんの存在です。小学生の頃から日比谷高校に憧れをもっていましたが、外務委員の皆さんがきっかけで、単なる『憧れ』から現実的な『第一志望校』へと、私の思いは明確に変わりました。入学できたら、私もぜひ外務委員に挑戦したいです。」

面接官B:「将来の夢は何ですか?」

私:「はい、研究医になりたいと考えています。社会や患者さんに貢献できる研究医であると共に、患者さんの心にも寄り添える研究医を目指しています。」

面接官B:「では、研究医を目指されるようになったきっかけを教えてください。」

私:「はい、小さい頃から『気になったことについてデータを取り、調べて考察し、自分なりの結論を出す』というサイクルが好きだったのですが、中学校2年生の時の理科の授業で山中伸弥先生の人体に関するドキュメンタリー番組を見て、『医学って面白い!』と衝撃を受け、元々持っていた探究心と相まって医学に興味を持つようになりました。私には元来、人のために役に立ちたいという思いがあったため、自分の得意なことを誰かのために役立てられる、こんな素晴らしい仕事は他にはないと考えました。

面接官B:「先ほど外務委員の話をしてくれたけれど、本校の生徒はどんな印象ですか?」

私:「はい、お互いの個性を認め合い、切磋琢磨されている印象があります。」

面接官B:「そう思ったきっかけを教えてください。」

私:「はい、以前、授業公開に伺った際に、ディスカッションをしているクラスがあったのですが、全然違う意見が出た時に『それいいね!』と認め合うだけでなく、自分のものとしてしっかり吸収しようとされていたので、そういうところが切磋琢磨に当てはまると感じました。」

面接官B:「本校の学校説明会にも来ていただいたことがあるんですよね?それで合っていますか?」

私:「はい、小学生の頃から何度も伺っています。」

面接官B「外務委員の話は、おそらくその学校説明会でのことだと思うのですが、詳しく聞かせていただけますか?」

私:「はい、外務委員の方々の臨機応変な対応に、『日比谷生ってすごいなぁ!』と思いました。具体的には、学校説明会で全体会が終了した際、校舎へ誘導していただくまで少し待ち時間が発生してしまったのですが、その際に外務委員の方々が、来ていた人達を退屈させないように、遅刻坂の話や日比谷生の日常についていろいろ話をしてくださいました。場の状況に応じて、自分の言葉で話される外務委員の方々を見て、『私も日比谷高校で外務委員になりたい!』と強く思うようになりました。」

(面接官Aの先生の反応が良かった。)

面接官B:「授業公開にも来ていただいたとのことですが、他にも何か学校行事に来られましたか?」

私:「はい、伺ったことがあります。星陵祭に何度も伺っています。」

面接官B:「私からは以上です。」

(ここで質問者が面接官Aの先生に変わる。面接の全体を通して、質問をしていない方の先生が猛烈な勢いでメモを取っておられた。)

面接官A:「国際的なリーダーになるには、どのような力が必要だと思いますか?」

私:「はい、国が違うということは、文化・価値観・考え方がすべて違うということだと思います。したがって、『どうしてその文化・価値観・考え方が根付いたのか』という背景、例えば歴史などを知ることが大事な第一歩だと思います。」

 

(何の脈絡もなくいきなり)

面接官A:「最近、若者の◯◯の低下が社会問題として挙げられていると思います。あなたはそれについてどう思いますか?」

(◯◯という言葉の意味が難しすぎてわからなかったので、一瞬焦った。漢字2文字の言葉だったように思う。素直に意味を聞くべきか迷ったが、一般入試でも語彙力を問う難しい問題が毎年出題されていることを思い出し、ここは聞くべきではないと判断した。面接官Aの先生は、それまで比較的わかりやすい言葉で質問してくださっていたのに、この質問だけ補足説明等も一切なかったことから、あえて中学生が絶対に知らないような難しい語彙を使って質問をすることによって、語彙力の有無や、困った時の対応力を見られていると感じた。おそらく「危機感の低下」というニュアンスのことだと思われたので、意味は聞き返さず、先生方の反応を見ながらそのまま回答した。)

私:「はい、若者の危機感低下の具体的事例としては、最近海外で未成年者のSNS、例えばインスタグラムなどの使用制限がなされたことが挙げられると思います。その背景には、『判断力がまだ足りない』として、大人が子どもを危険なものから遠ざけようとしていることがあると思います。ただ、私は、大人が一方的・全面的に禁止したり、逆に全面的に子どもに判断を委ねたりするのではなく、大人が子どもに判断を委ねる機会を与えることで、低下していた子どもの危機感を上げることができると考えます。」

(面接官お二人とも「いい例だね」と納得された感じの表情。間違ったことを言っていなかったようでほっとした。)

面接官A:「SSHについてお聞きします。本校のSSHでやっていきたいと思うことは何ですか?」

私:「はい、日比谷高校のSSHは、1年生全員が受けられること、希望により2・3年生でも続けることができるところが特徴だと思います。1年生は文系の人もSSHに取り組むことになるので、多様な探究分野から様々な刺激を受けることで、思考をより柔軟にしたいです。そして、それを基に、2・3年生では生物の研究を深めていきたいです。」

面接官A:「ご自分は理系だと思いますか?」

私:「はい、元々特に理系というわけではありませんでしたが、研究医を目指す上では理系ということになるのだと思います。ただ、1・2年生の間は、文系科目もしっかり学びたいと思っています。」

面接官A:「中学校で部活動はされていましたか?」

私:「はい、女子バレーボール部に所属していました。」

面接官A:「両立は大変だったと思いますが、どのようにして両立してこられましたか?」

私:「はい、隙間時間を上手に活用するようにしていました。また、家と学校が近かったので、大幅な勉強時間も確保しやすかったと思います。」

面接官A:「中学校生活で印象に残っていることは何ですか?」

私:「はい、2年生の時のフォトコンテストです。フォトコンテストが終了した後、学年みんなの達成感に溢れた笑顔を見ることができたことが印象に残っています。フォトコンテストとは、私が通う◯◯中学校独自の行事で、鎌倉に日帰り撮影旅行に行き、そこで撮った写真を使って、後日コンテストをするものです。私は、その実行委員として、旅行前の事前準備や当日のグループリーダー、後日開催されるコンテストの企画・運営等を行いました。学年みんなの笑顔を見ることができた瞬間、私自身もフォトコンテスト実行委員として頑張ってきて良かったと大きな達成感を感じました。」

(前半で「学年みんなの達成感に溢れた笑顔を見ることができた」と言った時と、後半で「学年みんなの笑顔を見ることができた瞬間、私自身もフォトコンテスト実行委員として頑張ってきて良かったと大きな達成感を感じました」と言った時の2回、面接官A・Bの先生どちらも反応がひときわ良かった。)

面接官A:「フォトコンテストは順調に進みましたか?」

(このあたりで、それまでの質問のスタイルから、面接官Aの先生については、答え方を工夫することにより、自分が聞いてほしい質問を聞いていただけるのではないかと感じた。)

私:「はい、概ね順調に進みましたが、それでもやはり苦労はありました。(「それはどんな苦労ですか?」という質問につなげて会話のキャッチボールができるよう、意図的にここで回答を止めた。)」

面接官A:「それはどんな苦労ですか?」

私: 「はい、ルール作成の段階で意見の対立が見られたので、そこは苦労しました。」

面接官A:「それをどうやって乗り越えましたか?」

私:「はい、対立している双方と丁寧にコミュニケーションをとるようにしました。なぜなら、プラスとマイナスのように相反する状態では、考えの押し付け合いになりがちで、意見の擦り合わせは難しいと考えたからです。したがって、それぞれの意見の根拠・それぞれの意見によりもたらされる利益・それぞれの意見の共通点と相違点について、双方と丁寧に照らし合わせることにより、1つの新たな案を作成しました。」

面接官A「ありがとうございます。それではこれで本日の面接を終了します。貴重品を預けていなければ、そのままお帰りいただいて結構です。」

私:「お時間がない中、申し訳ないのですが、最後に一言よろしいですか?」

面接官A:「どうぞ(笑)。」

私:「はい、ありがとうございます。私のESAT-Jの受験会場は、この日比谷高校で、座席は偶然にも兄が座っていた◯◯R◯番でした。このものすごい偶然から、私は日比谷高校との強いご縁を信じています。最後に、私にとって高校受験はゴールではなく、1つの通過点に過ぎません。もし入学を許可していただけたら、今貴重なお時間を割いてくださった先生方のご期待を裏切らないよう、研究医という目標達成のためにこの2月から誠実に努力することを今ここでお約束いたします!本日は貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございました。」

(兄の時には、この最後の決意表明で、それまで無反応だった両方の先生が顔を上げて「うんうん」という風に深く頷いてくださったので、「そこで合格を確信した」と聞いていたが、私の時は先生方はどちらも無反応だったので、少し心配になった。気持ちを込めて深々と丁寧にお辞儀をしてから、「失礼いたします。」と言って退室した。)

 

【振り返り】

  • 面接は、佐藤先生にご指導いただいたことに加え、兄の時にもお世話になった自宅近くの面接・集団討論対策塾で対面特訓をしていただいたり、中学校でも3回(副校長先生との面接練習2回と担任の先生による面接特訓1回)ほど練習の機会を設けていただけたりしたので、自信をもって臨むことができた。小論文や集団討論と同様、練習を重ねることが非常に大切だと感じた。本番では今までで一番リラックスして答えることができた。練習で緊張する経験をたくさん積めた分、本番では練習の時よりも会話のキャッチボールがうまくできたように感じる。笑顔もかなり出せたし、表情やアイコンタクトも今までで一番良かったと思う。
  • 面接官の先生方の反応が薄く、帰宅直後は不安だったが、日比谷高校に推薦合格していた兄から「自分の時も先生方は無反応だった。入学してからわかったが、一方の先生は無反応な先生というよりは、むしろすごく優しい先生で、面接の時とは別人のようだった。多分、面接ではわざと無反応を装っておられるだけだから、そこは心配しなくてよい。」という旨を言われて、少し自信が出てきた。
  • 自分の意見を述べるような問答の時には、面接官Aの先生が納得したような感じで頷いてくださった。
  • トップバッターで面接を受けられたのは、本当に恵まれていたと思う。「記憶の系列位置効果」というらしいが、早い順番ほど肯定的な評価が得やすく、遅い順番ほど否定的な評価になりやすいという研究結果もあるようだ。特に、トップバッターは記憶に残りやすく、肯定的な評価を得やすいらしい。実際、過去の合格発表で掲示された受験番号を見ても、1桁台(1桁台は、おそらく全員各教室のトップバッター)の合格率が高かった。今年も早い受験番号の方が遅い受験番号より合格率が高かったので、やはり早い受験番号の方が多少は有利かもしれないと思った。いち早く出願してくださった中学校の先生方には感謝しかない。
  • 「最後に一言よろしいですか?」と聞いた時に、面接官Aの先生に少し笑われた(「あー、言うのね。」という感じの笑い)。「なぜ笑われたのだろう?」と不思議に思っていたが、後から考えると、それまでの内容で既に合格点をいただけていたということなのかもしれないと感じた。

 

 

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